徒然なるままに…。

自由に気ままに綴ります

怒りの感情は必要か

テレビのリモコンの電池が切れたので

近所のセブンイレブンに買いに行った

自動ドアが開くと

顔を真っ赤にしたお爺さんが店員さんに激怒していた

なにがあったかは知らないけど、とても不快な気分になった

 

また後ろに並んでる人たちの《無関心》な態度にも腹立たしい気持ちになった

 

全員まとめて蹴飛ばしたい気分になった

 

負の感情は連鎖されやすい

 

 

コロナウィルスの影響で

飲食店や娯楽施設が休みになり

自宅で多くの時間を過ごし

ストレスが溜まっている人が多いと思う

 

健康やお金や生活の事などで

不安や不満が溜まっている人も多いと思う

 

テレビを付けても暗いニュースばかりで

外を歩いていても何となく不穏な空気感が

街全体から伝わってくる

 

世界全体が負の感情で蓄積され発散する場もない

 

 

 

 

 

 

 

 

怒り

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人間に備わっている当たり前の感情

 

 

『怒』という感情はなぜ人間に備わっているのか?

『怒』という感情は人間にとって必要なのか?

『怒』という感情は《悪》なのか?

 

 

 

最近読んだ村田沙耶香さんの

『丸の内魔法少女ラクリーナー』

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の中に『変容』という短編が収録されていた

喜怒哀楽の《怒》の感情が

ほぼ無くなっている世界の物語

 

この小説を読んでみて

『怒』という感情が人間にとって必要なのか?

という問題にぶつかった

 

『怒り』

 

できれば人に怒られたくないし

人に対して怒りたくもない

怒りが生まれる状況にはなるべく遭遇したくない

おそらく多くの人がそんな気待ちだと思う

自分も怒りからは絶対に距離を置きたいと思う

 

 

『怒りは他人を不快にさせ心を削る』

 

何で怒りなんて感情が存在するのか

怒りなんて人間の機能に無い方がいいのではないか

そんな事を考える反面、

もしも神様がいたとして

『怒りの感情を取り除いてくれる』

と言ってきたら自分はどうするだろうか?

 

自分はたぶん拒否してしまうと思う

 

怒りの感情のない人間にはなりたくないと思ってしまう

完全に矛盾しているが《怒り》には必然的な魅力を感じてしまう自分もいる

 

 

 

芸術。音楽。映画。小説。

喧嘩。犯罪。そして戦争。

怒からは良くも悪くも様々な強いエネルギーが生まれる

 

 

 

 

もしも地球上の全人類の人間に怒りの感情が無くなったら

一体どんな世界になるのだろうか?

 

争いは減るかもしれないけど

なんか無機質で気持ち悪い世の中になる気もする

 

また心を揺さぶるような爆発的な

芸術表現も生まれづらくなる気もする

 

探究心や向上心なども低下して

人間がロボットのようになってしまう気もする

 

 

はっきりとした答えは出ないけど

自然の生態系が絶妙なバランスで保たれている事と同じように

人間から怒りという感情がなくなったら

なんかとても危険な事だと感じる

 

やはり人間に《怒り》という感情はあったほうがいいかもしれない

 

 

《怒りの感情》は上手に自己コントロールして

その感情をガソリンにしてプラスに変換できれば

自己成長につながると思う

 

 

 

昨今はSNS上での不平不満や罵詈雑言が

目に飛び込んでくる事も多い

人間はストレスが溜まり追い詰められると本性が剥き出しになってしまうものだ

なので今の混沌とした時期には

その人間の人間性が可視化されやすい

 

趣味や好きな事をしてストレスが溜まらないように

心に余裕を持って生きる術を身に付ける事が大切になるのかもしれないですね

 

 

カッコいい怒りの浄化ができる人間でありたいです

 

 

 

【今日の格言】

《愛》が《憎悪》に変わった瞬間の怒りのエネルギーがいちばん恐ろしい!

 

 

それではまたCiao!