徒然なるままに…。

自由に気ままに綴ります

主張+尊重=信頼

信頼できる人間ってどんな人間なんだろう

 

信頼が集まる人間と

集まらない人間の違いはなんだろう

 

信頼ってどうやったら手に入るんだろう

 

なぜ信頼がある人間のところに

幸せが集まるのだろう

 

信頼はキラキラしていて

とても優しいエネルギーを感じる

 

 

 

 

 

 

 

ソクラテスの弁明』

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を読んでみて昔の頭の良い人は

信念を持って知性と知性をぶつけ合い

格闘技のように他者と議論を闘わせて

切磋琢磨していたんだと感心してしまった

 

その中でソクラテスは巧みな話術で

多くの信頼を寄せていた

 

 

誰かと議論を交わす行為は素晴らしい事だと思う

 

 

自分の記憶の中で1番古い過去の議論は

小さい頃に友達同士で

『1番強いアニメキャラクターは誰か?』

という論題で盛り上がった記憶がある

 

ドラゴンボールの悟空。

北斗の拳ケンシロウ

ウルトラマン

●アラレちゃん。

ドラえもん

などなど

 

色々な最強キャラクターが議題に挙がった

 

●人間以外は卑怯ではないか?

●そもそも人間の定義とは?

●戦い方はどうするのか?

●どうなったら負けなのか?

 

などの闘い方のルールや勝ち負けの定義など話し合って討論をしていた

 

めちゃくちゃバカみたいな行為だけど

他人の意見を聞いて、自分の意思を主張する

それを繰り返して議論を進めていく

とても大切な事だったなと今になって思う

(※確か自分はラッキーマンを推し熱弁した記憶があります笑)

 

 

 

 

 

大人になっても誰かと議論を交わすのは面白い

 

 

文化や時代のせいにするのはあまり好きではないけど

日本という国は小さい頃から

協調性を重んじる教育をしていて

皆んなと一緒が普通という概念で育てられていて

主義主張をする人間が煙たがられてしまう印象がある

 

『主張をしない』

『本心を隠す』

『空気を読む』

『波風を立てない』

『輪を乱さない』

『他人と合わす』

『愛想よくする』

『嫌われないようにする』

 

 

こんな人間が重宝される世の中。

もちろん良い点もたくさんあるけど

 

悪く言うと思考停止させ愛嬌を振りまき

善も悪も何も感受しない人間が常識的とされてしまう

そんな『空気を読む能力』に長けた人間が

『良い人』として称されている印象です

 

自分はこのような『良い人』があまり好きになれない

また人に合わせて良いことばかりを言ってる人間は

信用もできない

 

自分と意見が合わなくても

はっきりと自らの意見を言う人間のほうが

断然に好感が持てる

 

仮に喧嘩になって険悪な空気になっても

《議論を交わす》という行為は

人と人が密に繋がるには絶対に必要な行為だと思う

 

もしかしたら現代では

『密に繋がる』事への必要性に

変化が生じてるのかもしれない

 

 

この現象はSNSの出現が原因の一部かもしれない

今は気軽に簡単に人と繋がる事ができる

基本的には便利ですごい良い事だと思う

 

しかし光ある場所には闇もある

『フォロワーの数』や『いいねの数』など

《数》が世界中に可視化され

その《数》に自分の価値を見出している人が

多いのかなとも思う

 

《数》がその人間の《価値》

という事にはならない

 

 

 

 

 

『数より質』

 

 

 

こんな簡単で大昔から言われいる言葉を

理解は出来ていても気になってしまうものだ

 

なので、無意味な事は気にしない能力と

《質》を見抜く能力が今の時代に必要なのかもしれないですね

 

 

『信頼関係』

 

信念を持って主義主張し他者を尊重できる

そんな人間に信頼が集まり

人と人との繋がりに信頼の関係性が生まれる

 

『信頼』は人生を豊かにする絶対に必要不可欠な要因。

『信頼』は『お金』よりも価値があるものだと感じる

『命』の次に価値のあるものだと言ってもいいのかもしれない

 

 

 

ソクラテスは『命』よりも『信頼』に価値を感じて

死んで逝ったのかもしれないと本を読み思った

 

すごい信念です。

そりゃ信頼は集まりますね

ソクラテスさん。すごい人間です。

 

 

 

 

 

【後記】

 

自分の意見を主張して

それで嫌われるような相手だったら

そんな繋がりは必要ない

 

 

それではまたCiao!